1960年代、ヒッピー文化の名残をまとってビートルズが登場しました。今では信じられませんが、彼らもまた貧しい港町で生まれ汚いモップヘアで叫ぶ異端児たちだったのです。
またイギリスのバンド、ニュー・オーダーが1985年に発表したヒット曲で、そのものズバリ「サブ・カルチャー(Sub-culture)」というものもあるくらいです。
今ではすっかりファッションや音楽ジャンルの一部になっているサブカルも、元を辿ればなかなか奥が深いもの。
ロックにしろ、レゲエにしろ、その始まりは常に異端からはじまっています。中でもレゲエはジャマイカ発祥で、欧米文化に対する大地に根ざした、サブ・カルチャーというよりは「カウンター(対抗)カルチャー」としての意味付けが強いようです。あの陽気なリズムの中に悲しく激しい民族の思いが込められているなどとは、私たち平成の日本人にはうかがい知れませんね。このようにサブカルは時として民族運動、階級制度とも深く関わり、政治色が強かったのも事実なのです。日本におけるサブカルチャー・シーンをリードしてきたのが雑誌「宝島」だということは述べましたが、その中で私の記憶に残っているのが曽我部恵一率いる「サニーデイ・サービス」です。名前だけ聞くと、なんだかお年寄りをケアしてくれる施設みたいですが、1990年代、かのフリッパーズ・ギターや細野晴臣のはっぴいえんどの流れを汲む骨太のフォーク・ロックバンドとして絶大な人気を誇りました。
そのスタンスをはじめとして、類い稀な音楽センスと存在感は、ありがちなメディア主体のプロダクション・ミュージシャンとは一線を画す、まさにサブカルの主役でした。
なぜならテレビなど一般メディアの歌番組に出演せず、もっぱら「Quick Japan(太田出版)」(これもまた宝島の正統後継紙ですが)などに取り上げられ、そこから根強いファンを獲得し、花開いていったバンドだったからです。そして彼らもまた若者文化のメッカ、下北沢を本拠とし、現在は解散していますが「知る人ぞ知る」というサブカルの本道をいくミュージシャンでした。